后妃는 爾雅云 妃는 姬也니 對也라하고 左傳云 嘉耦曰妃라하며 禮記云 天子之妃曰后라하다
之德也는 舊說云 起此로 至用之邦國焉이 名關雎序니 謂之小序요 自風風也로 訖末이 名爲大序라
云 案鄭詩譜意
하니 大序是子夏作
이요 小序是子夏․毛公合作
이라 卜商意有不盡
하여 毛更足成之
라한대
或云 小序是東海
所作
이라하다 今謂此序止是關雎之序
나 總論詩之綱領
하니 無大小之異
라
解見詩義序라 竝是鄭注로대 所以無箋云者는 以無所疑亂故也라
疏
○正義曰:諸序, 皆一篇之義, 但詩理深廣, 此爲篇端, 故以詩之大綱, 竝擧於此.
今分爲十五節, 當節自解次第, 於此不復煩文. 作關雎詩者, 言后妃之德也.
曲禮曰 “天子之妃曰后.” 注云 “后之言後也.” 執理內事, 在夫之後也. 釋詁云 “妃, 媲也.” 言媲匹於夫也.
天子之妻, 唯稱后耳. 妃則上下通名, 故以妃配后而言之. 德者, 得也, 自得於身, 人行之總名.
此篇, 言后妃性行和諧, 貞專化下, 寤寐求賢, 供奉職事, 是后妃之德也.
疏
【疏】二南之風, 實文王之化, 而美后妃之德者, 以夫婦之性, 人倫之重, 故夫婦正, 則父子親, 父子親, 則君臣敬,
是以詩者, 歌其性情. 陰陽爲重, 所以詩之爲體, 多序男女之事.
不言美后妃者, 此詩之作, 直是感其德澤, 歌其性行, 欲以發揚聖化, 示語未知, 非是褒賞后妃能爲此行也.
正經, 例不言美, 皆此意也. 其變詩, 則政敎已失, 爲惡者多, 苟能爲善, 則賞其善事.
, 始見憂國之心,
, 方知求雨之切, 意與正經有異, 故序每篇言美也.
序
【序】風之始也니 所以風天下而正夫婦也라 故用之鄕人焉하고 用之邦國焉이라
○風之始의 此風은 謂十五國風이니 風是諸侯政敎也라 下云所以風天下는 論語云君子之德風으로 竝是此義라
疏
○正義曰:序以后妃樂得淑女, 不淫其色, 家人之細事耳, 而編於詩首, 用爲歌樂,
故於后妃德下, 卽申明此意, 言后妃之有美德, 文王風化之始也.
言文王行化, 始於其妻, 故用此爲風敎之始, 所以風化天下之民, 而使之皆正夫婦焉.
周公製禮作樂, 用之鄕人焉, 令鄕大夫, 以之敎其民也. 又用之邦國焉, 令天下諸侯, 以之敎其臣也.
欲使天子至於庶民, 悉知此詩皆正夫婦也. 故鄭譜云‘天子諸侯, 燕其群臣, 皆歌
, 合鄕樂’是也.
疏
【疏】儀禮鄕飮酒禮者, 鄕大夫三年賓賢能之禮, 其經云 “乃合樂周南關雎” 是用之鄕人也.
者, 諸侯飮燕其臣子, 及賓客之禮, 其經云 “遂歌鄕樂周南關雎” 是用之邦國也.
施化之法, 自上而下, 當天子敎諸侯, 敎大夫, 大夫敎其民.
今此先言風天下而正夫婦焉, 旣言化及於民, 遂從民而廣之, 故先鄕人而後邦國也.
“脩之家, 其德乃餘. 脩之邦, 其德乃豐. 脩之天下, 其德乃普.” 亦自狹至廣, 與此同意也.
序
【序】風은 風也요 敎也니 風以動之하고 敎以化之라
○風風也
는 竝如字
라 徐上如字
하고 下福鳳反
이라 集注本
에 下卽作諷字
라
云 動物曰風
이요 託音曰諷
이라하고 崔云 用風感物
을 則謂之諷
이라하고
沈云 上風是國風
이니 卽詩之六義也
요 下風卽是
鼓動之風
이니 君上風敎
하여 能鼓動萬物
이 如風之偃草也
라하니 今從沈說
이라
風以動之는 如字니 沈云 謂自下剌上하여 感動之名이니 變風也라하되 今不用이라
疏
○正義曰:上言風之始, 謂敎天下之始也. 序又解名, 敎爲風之意, 風訓諷也敎也.
諷謂微加曉告, 敎謂殷勤誨示. 諷之與敎, 始末之異名耳.
言王者施化, 先依違諷諭以動之, 民漸開悟, 乃後明敎命以化之. 風之所吹, 無物不扇, 化之所被, 無往不沾, 故取名焉.
序
【序】詩者는 志之所之也니 在心爲志요 發言爲詩라
疏
○正義曰:上言用詩以敎, 此又解作詩所由. 詩者, 人志意之所之適也.
雖有所適, 猶未發口, 蘊藏在心, 謂之爲志. 發見於言, 乃名爲詩.
言作詩者, 所以舒心志憤懣, 而卒成於歌詠, 故虞書謂之‘詩言志’也.
志之所適, 外物感焉, 言悅豫之志, 則和樂興而頌聲作, 憂愁之志, 則哀傷起而怨刺生.
藝文志云 “哀樂之情感, 歌詠之聲發” 此之謂也. 正經與變, 同名曰詩, 以其俱是志之所之故也.
序
【序】情動於中而形於言하되 言之不足이라 故嗟歎之하고 嗟歎之不足이라 故永歌之하고 永歌之不足이라 不知手之舞之足之蹈之也라
○嗟는 咨嗟也라 歎은 本亦作嘆하니 歎息也라 蹈는 動足履地也라
疏
○正義曰:上云 ‘發言爲詩’, 辨詩志之異, 而直言者非詩, 故更序詩必長歌之意.
情謂哀樂之情, 中謂中心, 言哀樂之情, 動於心志之中, 出口而形見於言.
初言之時, 直平言之耳. 平言之而意不足, 嫌其言未申志, 故咨嗟歎息, 以和續之.
嗟歎之, 猶嫌不足, 故長引聲而歌之. 長歌之, 猶嫌不足, 忽然不知手之舞之足之蹈之.
言身爲心使, 不自覺知擧手而舞身, 動足而蹈地, 如是而後, 得舒心腹之憤, 故爲詩必長歌也.
聖王以人情之如是, 故用詩於樂, 使人歌詠其聲, 象其吟詠之辭也. 舞動其容, 象其舞蹈之形也. 具象哀樂之形, 然後得盡其心術焉.
‘情動於中’, 還是‘在心爲志’, 而‘形於言’, 還是‘發言爲詩’, 上辨詩從志出, 此言爲詩必歌, 故重其文也.
疏
【疏】定本 ‘言之不足故嗟歎之’, 俗本 ‘言之’下, 有‘者’字, 誤也. 定本 ‘永歌之不足’下, 無‘故’字, 有‘故’字者, 亦誤也.
樂記云 “歌之爲言也, 長言之也. 說之, 故言之, 言之不足, 故長言之,
長言之不足, 故嗟歎之, 嗟歎之不足, 故不知手之舞之足之蹈之.” 其文與此經略同.
‘說之故言之’, 謂說前事, 言出於口, 與此‘情動形言’一也.
虞書曰 “歌永言.” 注云 “歌所以長言詩之意.” 是永歌․長言爲一事也.
樂記注云 “嗟歎, 和續之也.” 謂發言之後, 咨嗟歎息爲聲, 以和其言而繼續之也.
樂記先言長言之, 乃云嗟歎之, 此先云嗟歎之, 乃云永歌之. 直言旣已嗟歎, 長歌又復嗟歎, 彼此各言其一, 故不同也.
藝文志云 “誦其言, 謂之詩, 詠其聲, 謂之歌.” 然則在心爲志, 出口爲言,
誦言爲詩, 詠聲爲歌, 播於
, 謂之爲樂, 皆始末之異名耳.
箋
【箋】發은 猶見也라 聲은 謂宮商角徵羽也니 聲成文者는 宮商上下相應이라
疏
○正義曰:情發於聲, 謂人哀樂之情, 發見於言語之聲, 於時雖言哀樂之事, 未有宮商之調, 唯是聲耳.
至於作詩之時, 則次序淸濁, 節奏高下, 使五聲爲曲, 似五色成文, 一人之身, 則能如此.
據其成文之響, 卽是爲音. 此音被諸弦管, 乃名爲樂, 雖在人在器, 皆得爲音.
下云‘治世之音’謂樂音, 則此‘聲成文謂之音’ 亦謂樂之音也.
原夫作樂之始, 樂寫人音, 人音有小大高下之殊, 樂器有宮徵商羽之異, 依人音而製樂, 託樂器以寫人,
是樂本效人, 非人效樂. 但樂曲旣定, 規矩先成, 後人作詩, 謨摩舊法, 此聲成文謂之音.
疏
【疏】若據樂初之時, 則人能成文, 始入於樂. 若據制樂之後, 則人之作詩, 先須成樂之文, 乃成爲音.
聲能寫情, 情皆可見. 聽音而知治亂, 觀樂而曉盛衰, 故
.
設有言而非志, 謂之矯情, 情見於聲, 矯亦可識.
若夫取彼素絲, 織爲綺縠, 或色美而材薄, 或文惡而質良, 唯善賈者別之.
取彼歌謠, 播爲音樂, 或辭是而意非, 或言邪而志正, 唯達樂者曉之.
疏
【疏】樂記曰 “其哀心感者, 其聲噍以殺, 其樂心感者, 其聲發以散.” 是情之所感, 入於樂也.
季札見歌唐曰 “思深哉, 其有陶唐氏之遺民乎.” 是樂之聲音, 得其情也.
若徒取辭賦, 不達音聲, 則身爲桀紂之行, 口出堯舜之辭, 不可得而知也.
是以楚茨․大田之徒, 竝陳成王之善, 行露․汝墳之篇, 皆述紂時之惡.
以
爲王者之風,
爲剌過之雅, 大師曉其作意, 知其本情故也.
疏
○正義曰:春官大師職云 “文之以五聲, 宮商角徵羽.” 是聲必有五, 故引五聲之名以解之.
五聲之配五方也, 於月令, “角東․商西․徵南․羽北․宮在中央.” 立名還以其方爲義.
漢書律歷志云 “商之爲言, 章也, 物成熟可章度也. 角, 觸也, 物觸地而出, 戴芒角也.
宮, 中也, 居中央, 暢四方, 唱始施生, 爲四聲之綱也. 徵, 祉也, 物盛大而蕃祉也. 羽, 宇也, 物聚藏, 宇覆之也.”
又云 “宮爲君.” 君是陽, 陽數極於九, 故宮數八十一. 三分去一以生徵, 徵數五十四.
三分益一以生商, 商數七十二. 三分去一以生羽, 羽數四十八. 三分益一以生角, 角數六十四.
疏
【疏】樂記云 “聲相應, 故生變, 變成方, 謂之音.” 注云 “方, 猶文章也.” “樂之器, 彈其宮, 則衆宮應, 然不足樂, 是以變之使雜也.”
引昭二十年左傳曰 “若以水濟水, 誰能食之, 若琴瑟之專壹, 誰能聽之.” 是解聲必須雜之意也. 此言‘聲成文謂之音’, 則聲與音別.
樂記注 “雜比曰音, 單出曰聲.” 記又云 “審聲以知音, 審音以知樂.” 則聲․音․樂三者, 不同矣.
季札見歌秦曰 “此之謂夏聲.” 公羊傳云 “
, 頌聲作.” 聲卽音也.
下云‘治世之音’, 音卽樂也. 是聲與音, 樂名得相通也.
疏
【疏】樂記, 子夏對魏文侯云 “君之所問者樂也. 所好者音也. 夫樂者, 與音相近而不同.” 又以音樂爲異者.
以文侯幷問古樂新樂, 二者同呼爲樂, 謂其樂音同也.
子夏以古樂, 順於民而當於神, 與天下同樂, 故定爲樂, 名新樂, 淫於色而害於德, 直申說其音而已.
樂記云 “淫樂慝禮”, 子夏亦云 ‘古樂之發’․‘新樂之發’, 是鄭衛之音, 亦爲樂也.
序
【序】治世之音은 安以樂하니 其政和요 亂世之音은 怨以怒하니 其政乖요 亡國之音은 哀以思하니 其民困이라
疏
○正義曰:序旣云 ‘情見於聲’, 又言‘聲隨世變’, 治世之音, 旣安又以懽樂者, 由其政敎和睦故也.
亂世之音, 旣怨又以恚怒者, 由其政敎乖戾故也. 亡國之音, 旣哀又以愁思者, 由其民之困苦故也.
樂記云 “其哀心感者, 其聲噍以殺, 其樂心感者, 其聲嘽以緩.” 彼說樂音之中, 兼有二事, 此安以樂怨以怒, 亦與彼同.
治世之政敎, 和順民心, 民安其化, 所以喜樂. 述其安樂之心而作歌, 故治世之音, 亦安以樂也.
云 “百室盈止, 婦子寧止.” 安之極也.
云 “厭厭夜飮, 不醉無歸.” 樂之至也.
疏
【疏】亂世之政敎, 與民心乖戾, 民怨其政敎, 所以忿怒. 述其怨怒之心而作歌, 故亂世之音, 亦怨以怒也.
云 “民莫不穀, 我獨何害” 怨之至也.
云 “取彼譖人, 投畀豺虎” 怒之甚也.
云 “徹我墻屋, 田卒汙萊” 是其政乖也. 國將滅亡, 民遭困厄, 哀傷己身, 思慕明世.
云 “知我如此, 不如無生” 哀之甚也.
云 “睠言顧之, 潸焉出涕” 思之篤也.
疏
【疏】治世, 謂天下和平, 亂世, 謂兵革不息, 亡國, 謂國之將亡也.
亂世, 謂世亂而國存, 故以世言之, 亡國, 則國亡而世絶, 故不言世也.
亂世言政, 亡國不言政者, 民困必政暴, 擧其民困爲甚辭, 故不言政也.
亡國者, 國實未亡, 觀其歌詠, 知其必亡, 故謂之亡國耳, 非已亡也. 若其已亡, 則無復作詩, 不得有亡國之音.
此云亂世亡國者, 謂賢人君子, 聽其樂音, 知其亡亂, 故謂之亂世之音亡國之音.
樂記所云 “鄭衛之音, 亂世之音.
之音, 亡國之音” 與此異也.
淫恣之人, 肆於民上, 滿志縱欲, 甘酒嗜音, 作爲新聲, 以自娛樂, 其音皆樂而爲之, 無哀怨也.
疏
【疏】樂記云 “樂者, 樂也, 君子樂得其道, 小人樂得其欲” 彼樂得其欲, 所以謂之淫樂,
爲此樂者, 必亂必亡, 故亦謂之亂世之音亡國之音耳, 與此不得同也.
若然, 此二者, 言哀樂出于民情, 樂音從民而變, 乃是人能變樂, 非樂能變人.
案樂記稱 “人心感於物而後動, 先王愼所以感之者, 故作樂以和其聲. 樂之感人深, 其移風易俗”
又云 “志微噍殺之音作, 而民思憂, 廉直莊誠之音作, 而民肅敬, 寬裕順成之音作, 而民慈愛, 流僻邪散之音作, 而民淫亂.”
如彼文, 又是樂能變人, 樂由王者所制, 民逐樂音而變.
此言民能變樂, 彼言樂能變人者, 但兆民旣衆, 賢愚不等, 以賢哲歌謠采詩定樂,
以賢者所樂, 敎愚者爲樂. 取智者之心, 變不智者之心, 制禮之事, 亦猶是也.
疏
【疏】禮者, 稱人之情而爲之節文, 賢者俯而就之, 不肖者企而及之, 是下民之所行, 非聖人之所行也.
禮記問喪稱 “禮者, 非從天降, 非從地出, 人情而已矣.” 是禮之本意, 出於民也.
樂記又曰 “凡音之起, 由人心生也. 樂者, 樂其所自生.” 是樂之本意, 出於民也.
樂記又曰 “夫物之感人無窮, 而人之好惡無節, 則是物至而人化物也. 人化物也者, 則滅天理而窮人欲者也.
於是, 有悖逆詐僞之心, 有淫佚作亂之事, 故先王制禮作樂爲之節.” 是王者采民情, 制禮樂之意.
禮樂本出於民, 還以敎民, 與夫雲出於山, 復雨其山, 火生於木, 反焚其木, 復何異哉.
序
【序】故로 正得失하고 動天地하며 感鬼神은 莫近於詩라
箋
【箋】○正得失
을 云 正齊人之得失也
라하고 本又作政
하여 謂政敎也
라하니 兩通
이라
疏
○正義曰:上言播詩於音, 音從政變, 政之善惡, 皆在於詩, 故又言詩之功德也.
由詩爲樂章之故, 正人得失之行, 變動天地之靈, 感致鬼神之意, 無有近於詩者. 言詩最近之, 餘事莫之先也.
公羊傳, 說春秋功德云 “撥亂世, 反諸正, 莫近諸春秋.”
云 “莫近, 猶莫過之也.”
詩之道, 所以能有此三事者, 詩者志之所歌, 歌者人之精誠, 精誠之至, 以類相感.
詩人陳得失之事, 以爲勸戒, 令人行善不行惡, 使失者皆得是詩, 能正得失也.
普正人之得失, 非獨正人君也, 下云 “上以風化下, 下以風刺上.” 是上下俱正人也.
疏
【疏】人君誠能用詩人之美道, 聽
之正音, 使賞善伐惡之道, 擧無不當, 則可使天地效靈, 鬼神降福也.
故樂記云 “姦聲感人而逆氣應之, 逆氣成象而淫樂興焉. 正聲感人而順氣應之, 順氣成象而和樂興焉.”
又曰 “歌者, 直己而陳德也, 動己而天地應焉, 四時和焉, 星辰理焉, 萬物育焉.” 此說聲能感物, 能致順氣逆氣者也.
天地云動, 鬼神云感,
耳. 周禮之例, 天曰神, 地曰祇, 人曰鬼, 鬼神與天地相對, 唯謂人之鬼神耳.
從人正而後能感動, 故先言正得失也. 此‘正得失’, 與‘雅者正也’․‘正始之道’, 本或作政, 皆誤耳, 今定本, 皆作正字.
序
【序】先王이 以是로 經夫婦하고 成孝敬하며 厚人倫하고 美敎化하며 移風俗이라
疏
○正義曰:上言詩有功德, 此言用詩之事. 經夫婦者, 經, 常也,
夫婦之道有常, 男正位乎外, 女正位乎內, 德音莫違, 是夫婦之常. 室家離散, 夫妻反目, 是不常也.
敎民使常此夫婦, 猶商書云 ‘常厥德’也. 成孝敬者, 孝以事親, 可移於君, 敬以事長, 可移於貴.
若得罪於君親, 失意於長貴, 則是孝敬不成, 故敎民使成此孝敬也.
厚人倫者, 倫, 理也, 君臣父子之義, 朋友之交, 男女之別, 皆是人之常理.
父子不親, 君臣不敬, 朋友道絶, 男女多違, 是人理薄也, 故敎民使厚此人倫也.
疏
【疏】美敎化者, 美, 謂使人服之而無厭也. 若設言而民未盡從, 是敎化未美, 故敎民使美此敎化也.
移風俗者, 地理志云 “民有剛柔緩急, 音聲不同, 繫水土之風氣, 故謂之風. 好惡取舍動靜, 隨君上之情欲, 故謂之俗.”
緩急繫水土之氣, 急則失於躁, 緩則失於慢. 王者爲政, 當移之, 使緩急調和, 剛柔得中也.
隨君上之情, 則君有善惡, 民竝從之. 有風俗傷敗者, 王者爲政, 當易之使善,
故地理志, 又云 “孔子曰 ‘移風易俗, 莫善於樂.’ 言聖王在上, 統理人倫, 必移其本而易其末, 然後王敎成.” 是其事也.
此皆用詩爲之, 故云 ‘先王以是’, 以, 用也, 言先王用詩之道, 爲此五事也.
疏
【疏】案王制云 “廣谷大川異制, 民生其閒者異俗. 脩其敎, 不易其俗.” 此云‘易俗’, 彼言‘不易’者,
彼謂五方之民, 戎夷殊俗, 言語不通, 器械異制, 王者就而撫之, 不復易其器械, 同其言音, 故言‘不易其俗’, 與此異也.
此序言詩能易俗, 孝經言樂能移風俗者, 詩是樂之心, 樂爲詩之聲, 故詩樂同其功也. 然則詩樂相將, 無詩則無樂.
疏
【疏】周存
, 豈有黃帝之詩. 有樂而無詩, 何能移風易俗,
斯不然矣. 原夫樂之初也, 始於人心, 出於口歌, 聖人作八音之器以文之, 然後謂之爲音, 謂之爲樂.
樂雖逐詩爲曲, 倣詩爲音, 曲有淸濁次第之序, 音有宮商相應之節, 其法旣成, 其音可久, 是以昔日之詩雖絶, 昔日之樂常存.
樂本由詩而生, 所以樂能移俗. 歌其聲謂之樂, 誦其言謂之詩, 聲言不同, 故異時別敎.
王制稱 “春敎樂, 夏敎詩” 經解稱 “溫柔敦厚, 詩敎也. 廣博易良, 樂敎也” 由其事異, 故異敎也, 此之謂詩樂.
據五帝以還, 詩樂相將, 故有詩則有樂, 若上皇之世, 人性醇厚, 徒有嬉戱之樂, 未有歌詠之詩.
序
【序】故詩有六義焉하니 一曰風이요 二曰賦요 三曰比요 四曰興이요 五曰雅요 六曰頌이라
疏
○正義曰:上言詩功旣大, 明非一義能周, 故又言詩有六義.
大師上文, 未有詩字, 不得徑云‘六義’, 故言六詩, 各自爲文, 其實一也.
彼注云 “風, 言賢聖治道之遺化. 賦之言鋪, 直鋪陳今之政敎善惡.
比, 見今之失, 不敢斥言, 取比類以言之. 興, 見今之美, 嫌於媚諛, 取善事以喩勸之.
雅, 正也, 言今之正者, 以爲後世法. 頌之言, 誦也容也, 誦今之德, 廣以美之.” 是解六義之名也.
疏
【疏】彼雖各解其名, 以詩有正變, 故互見其意, 風云‘賢聖之遺化’, 謂變風也.
雅云‘言今之正, 以爲後世法’, 謂正雅也. 其實正風, 亦言當時之風化, 變雅亦是賢聖之遺法也.
頌訓爲容, 止云‘誦今之德廣以美之’, 不解容之義, 謂天子美有形容, 下云‘美盛德之形容’, 是其事也.
賦云‘鋪陳今之政敎善惡’, 其言通正變兼美刺也. 比云‘見今之失, 取比類以言之’, 謂刺詩之比也.
興云‘見今之美, 取善事以勸之’, 謂美詩之興也. 其實美刺, 俱有比興者也.
疏
【疏】鄭必以風言‘賢聖之遺化’, 擧變風者, 以唐有堯之遺風, 故於風言‘賢聖之遺化’.
賦者, 直陳其事, 無所避諱, 故得失俱言. 比者, 比託於物, 不敢正言, 似有所畏懼, 故云‘見今之失, 取比類以言之’.
興者, 興起志意, 讚揚之辭, 故云‘見今之美, 以喩勸之’. 雅, 旣以齊正爲名, 故云‘以爲後世法’.
鄭之所注, 其意如此, 詩皆用之於樂, 言之者無罪.
賦則直陳其事, 於比興云‘不敢斥言, 嫌於媚諛’者, 據其辭不指斥, 若有嫌懼之意.
疏
【疏】六義次第如此者, 以詩之
, 以風爲先, 故曰風.
風之所用, 以賦․比․興爲之辭, 故於風之下卽次賦․比․興, 然後次以雅․頌.
雅頌亦以賦․比․興爲之, 旣見賦․比․興於風之下, 明雅․頌亦同之.
鄭以賦之言鋪也, 鋪陳善惡, 則詩文直陳其事, 不譬喩者, 皆賦辭也.
云 “比者, 比方於物, 諸言如者, 皆比辭也.”
司農又云 “興者, 託事於物, 則興者起也. 取譬引類, 起發己心, 詩文時擧草木鳥獸, 以見意者, 皆興辭也.”
賦比興如此次者, 言事之道, 直陳爲正, 故詩經多賦在比興之先.
比之與興, 雖同是附託外物, 比顯而興隱, 當先顯後隱, 故比居興先也. 毛傳特言興也, 爲其理隱故也.
疏
【疏】風․雅․頌者, 皆是施政之名也. 上云‘風, 風也 敎也, 風以動之, 敎以化之’, 是風爲政名也.
下云‘雅者, 正也. 政有小大, 故有小雅焉, 有大雅焉’, 是雅爲政名也.
周頌譜云 “頌之言容, 天子之德, 光被四表, 格于上下, 此之謂容.” 是頌爲政名也.
人君以政化下, 臣下感政作詩, 故還取政敎之名, 以爲作詩之目.
風․雅․頌, 同爲政稱, 而事有積漸, 敎化之道, 必先諷動之, 物情旣悟, 然後敎化, 使之齊正.
言其風動之初, 則名之曰風, 指其齊正之後, 則名之曰雅, 風俗旣齊然後, 德能容物,
疏
【疏】一國之事爲風, 天下之事爲雅者, 以諸侯列土樹疆, 風俗各異,
故唐有堯之遺風, 魏有儉約之化, 由隨風設敎, 故名之爲風.
天子則威加四海, 齊正萬方, 政敎所施, 皆能齊正, 故名之爲雅.
風雅之詩, 緣政而作, 政旣不同, 詩亦異體. 故七月之篇, 備有風雅頌.
駉頌序云 “
作是頌.” 明作者本意, 自定爲風體, 非采得之後, 始定體也.
詩體旣異, 其聲亦殊, 公羊傳曰 “十一而稅, 頌聲作.” 史記稱 “微子過殷墟而作
.”
譜云 “師摯之始, 關雎之亂, 早失風聲矣.” 樂記云 “人不能無亂, 先王恥其亂, 故制雅頌之聲以道之.” 是其各自別聲也.
疏
【疏】詩各有體, 體各有聲, 大師聽聲得情, 知其本意.
周南爲王者之風, 召南爲諸侯之風, 是聽聲而知之也.
然則風․雅․頌者, 詩篇之異體, 賦比興者, 詩文之異辭耳, 大小不同, 而得竝爲六義者, 賦比興, 是詩之所用, 風雅頌, 是詩之成形,
用彼三事, 成此三事, 是故同稱爲義, 非別有篇卷也.
答曰 ‘比賦興, 吳札觀詩, 已不歌也. 孔子錄詩, 已合風雅頌中, 難復摘別, 篇中義多興.’”
逸見風雅頌有分段, 以爲比賦興, 亦有分段, 謂有全篇爲比, 全篇爲興, 欲鄭指摘言之.
鄭以比賦興者, 直是文辭之異, 非篇卷之別, 故遠言從本來不別之意.
疏
【疏】言‘吳札觀詩 已不歌’, 明其先無別體, 不可歌也. ‘孔子錄詩 已合風雅頌中’, 明其先無別體, 不可分也.
元來合而不分, 今日難復摘別也. 言‘篇中義多興’者, 以毛傳於諸篇之中, 每言興也.
以興在篇中, 明比賦亦在篇中, 故以興顯比賦也. 若然, 比賦興元來不分, 則唯有風雅頌三詩而已.
藝論云‘至周分爲六詩’者, 據周禮‘六詩’之文而言之耳, 非謂篇卷也.
或以爲鄭云‘孔子已合於風雅頌中’, 則孔子以前未合之時, 比賦興別爲篇卷,
若然則離其章句, 析其文辭, 樂不可歌, 文不可誦.
且風雅頌以比賦興爲體, 若比賦興別爲篇卷, 則無風雅頌矣. 是比賦興之義, 有詩則有之.
疏
【疏】唐虞之世, 治致升平, 周於太平之世, 無諸侯之風, 則唐虞之世, 必無風也.
雅雖王者之政, 乃是太平前事, 以堯舜之聖, 黎民時雍, 亦似無雅, 於六義之中, 唯應有頌耳.
夏氏之衰,
作霸, 諸侯彊盛, 或當有風, 但篇章泯滅, 無以言之.
藝論云 “唐虞始造其初, 至周分爲六詩”, 據周禮成文而言之, 詩之六義, 非起於周也.
序
【序】上以風化下하고 下以風刺上호되 主文而譎諫하여 言之者無罪요 聞之者足以戒라 故曰風이라
箋
【箋】風化風刺는 皆謂譬喩不斥言也요 主文은 主與樂之宮商相應也요 譎諫은 詠歌依違不直諫이라
○下以風은 注諷刺同이라 刺本又作㓨라 故曰風은 福鳳反이요 又如字라 譎은 詐也라
疏
○正義曰:臣下作詩, 所以諫君, 君又用之敎化, 故又言上下皆用此
六義之意.
在上人君, 用此六義, 風動敎化, 在下人臣, 用此六義, 以風喩箴刺君上.
其作詩也, 本心主意, 使合於宮商相應之文, 播之於樂, 而依違譎諫, 不直言君之過失,
故言之者無罪, 人君不怒其作主而罪戮之, 聞之者, 足以自戒.
人君自知其過而悔之, 感而不切, 微動若風, 言出而過改, 猶風行而草偃, 故曰風.
上言‘風 風也敎也’, 向下以申風義, 此云‘故曰風’, 向上而結彼文, 使首尾相應, 解盡風義.
疏
【疏】此六義之下而解名風之意, 則六義皆名爲風, 以風是政敎之初, 六義風居其首, 故六義摠名爲風, 六義隨事生稱耳.
若此辭摠上六義, 則有正變, 而云‘主文譎諫’, 唯說刺詩者, 以詩之作, 皆爲正邪防失,
詩皆人臣作之以諫君, 然後人君用之以化下, 此先云‘上以風化下’者, 以其敎從君來, 上下俱用, 故先尊後卑.
襄十六年左傳稱 “齊人伐魯, 求救於晉. 晉人不許, 穆叔見中行獻子, 賦圻父. 獻子曰 ‘偃知罪矣.’”
穆叔賦而晉人不得怨之, 是‘言之者無罪’也. 獻子服罪, 是‘聞之者足以戒’也.
俗本, 戒上有自字者, 誤. 定本, 直云‘足以戒’也.
疏
○正義曰:風者, 若風之動物, 故謂之‘譬喩 不斥言’也. 人君敎民, 自得指斥, 但用詩敎民, 播之於樂, 故亦不斥言也.
上言‘聲成文’, 此言‘主文’, 知作詩者主意, 令詩文與樂之宮商相應也.
如上所說, 先爲詩歌, 樂逐詩爲曲, 則是宮商之辭, 學詩文而爲之.
此言作詩之文, 主應於宮商者, 初作樂者, 準詩而爲聲, 聲旣成形, 須依聲而作詩, 故後之作詩者, 皆主應於樂文也.
譎者, 權詐之名, 託之樂歌, 依違而諫, 亦權詐之義, 故謂之‘譎諫’.
序
【序】至于王道衰하여 禮義廢하고 政敎失하며 國異政하고 家殊俗하여 而變風變雅作矣라
疏
○正義曰:詩之風雅, 有正有變, 故又言變之意. 至于王道衰, 禮義廢而不行, 政敎施之失所,
遂使諸侯國國異政, 下民家家殊俗. 詩人見善則美, 見惡則刺之, 而變風變雅作矣.
禮義言‘廢’者, 典法仍存, 但廢而不行耳. 政敎言‘失’者, 非無政敎, 但施之失理耳.
由施之失理, 故使國國異政, 家家殊俗, 皆是道衰之事, 故云‘道衰’以冠之.
定本‘禮義廢’, 俗本有作儀字者, 非也. 此家, 謂天下民家. 孝經云 “非家至而日見之也.” 亦謂天下民家, 非大夫稱家也.
民隨君上之欲, 故稱俗, 若大夫之家, 不得謂之俗也.
疏
【疏】變風․變雅, 必王道衰乃作者, 夫天下有道, 則庶人不議, 治平累世, 則美刺不興, 何則.
未識不善, 則不知善爲善, 未見不惡, 則不知惡爲惡. 太平則無所更美, 道絶則無所復譏, 人情之常理也,
故初變惡俗, 則民歌之, 風雅正經是也. 始得太平, 則民頌之, 周頌諸篇是也.
若其王綱絶紐, 禮義消亡, 民皆逃死, 政盡紛亂, 易稱 “天地閉, 賢人隱.” 於此時也, 雖有智者, 無復譏剌.
成王太平之後, 其美不異於前, 故頌聲止也. 陳靈公淫亂之後, 其惡不復可言, 故變風息也.
班固云 “
沒而頌聲寢, 王澤竭而詩不作.” 此之謂也.
疏
【疏】然則變風․變雅之作, 皆王道始衰, 政敎初失, 尙可匡而革之, 追而復之,
故執彼舊章, 繩此新失, 覬望自悔其心, 更遵正道, 所以變詩作也, 以其變改正法, 故謂之變焉.
猶有先王之遺民.” 是由王澤未竭, 民尙知禮, 以禮救世, 作此變詩, 故變詩, 王道衰乃作也.
變雅始於厲王, 無夷懿之雅者, 蓋孔子錄而不得, 或有而不足錄也.
昭十二年左傳稱 “
.” 衛頃․齊哀之時而有變風, 明時作變雅, 但不錄之耳.
疏
【疏】王道衰, 諸侯有變風, 王道盛, 諸侯無正風者, 王道明盛, 政出一人, 太平非諸侯之力, 不得有正風,
王道旣衰, 政出諸侯, 善惡在於己身, 不由天子之命, 惡則民怨, 善則民喜, 故各從其國, 有美剌之變風也.
序
【序】國史明乎得失之迹하여 傷人倫之廢하고 哀刑政之苛하여 吟詠情性以風其上이라
疏
○正義曰:上旣言變詩之作, 此又說作變之由, 言國之史官, 皆博聞强識之士, 明曉於人君得失善惡之迹,
禮義廢則人倫亂, 政敎失則法令酷, 國史傷此人倫之廢棄, 哀此刑政之苛虐.
哀傷之志, 鬱積於內, 乃吟詠己之情性, 以風刺其上, 覬其改惡爲善, 所以作變詩也.
國史者, 周官, 大史․小史․外史․御史之等, 皆是也. 此承變風․變雅之下, 則兼據天子諸侯之史矣.
‘得失之迹’者, 人君旣往之所行也. 明曉得失之迹, 哀傷而詠情性者, 詩人也, 非史官也.
民勞․常武, 公卿之作也. 黃鳥․碩人, 國人之風, 然則凡是臣民, 皆得風剌, 不必要其國史所爲.
疏
【疏】此文特言國史者, 鄭答張逸云 “國史采衆詩時, 明其好惡, 令
歌之, 其無作主, 皆國史主之, 令可歌.”
如此言, 是由國史掌書, 故託文史也. 苟能制作文章, 亦可謂之爲史, 不必要作史官.
駉云 “史克作是頌” 史官自有作詩者矣, 不盡是史官爲之也.
言‘明其好惡 令瞽矇歌之’, 是國史選取善者, 始付樂官也.
言‘其無作主 國史主之’, 嫌其作者無名, 國史不主之耳, 其有作主, 亦國史主之耳.
‘人倫之廢’, 卽上禮義廢也, ‘刑政之苛’, 卽上政敎失也.
動聲曰吟, 長言曰詠, 作詩必歌, 故言吟詠情性也.
序
【序】達於事變而懷其舊俗者也라 故變風發乎情하여 止乎禮義라
疏
○正義曰:此又言王道旣衰, 所以能作變詩之意. 作詩者, 皆曉達於世事之變易, 而私懷其舊時之風俗,
見時世政事, 變易舊章, 卽作詩以舊法誡之, 欲使之合於禮義,
故變風之詩, 皆發於民情, 止於禮義, 言各出民之情性, 而皆合於禮義也, 又重說發情止禮之意.
‘發乎情者 民之性’, 言其民性不同, 故各言其志也, ‘止乎禮義者 先王之澤’, 言俱被先王遺澤, 故得皆止禮義也, 展轉申明作詩之意.
‘達於事變’者, 若唐有帝堯殺禮救危之化, 後世習之, 失之於儉不中禮,
陳有
好巫歌舞之風, 後世習之, 失之於遊蕩無度. 是其風俗改變, 時人曉達之也.
疏
【疏】‘懷其舊俗’者, 若齊有太公之風, 衛有康叔之化, 其遺法仍在, 詩人懷挾之也.
詩人旣見時世之事變, 改舊時之俗, 故依準舊法, 而作詩戒之.
雖俱準舊法, 而詩體不同, 或陳古政治, 或指世淫荒.
雖復屬意不同, 俱懷匡救之意, 故各發情性, 而皆止禮義也.
此亦兼論變雅, 獨言變風者, 上已變風․變雅雙擧其文, 此從省而略之也.
‘先王之澤’, 謂先王有德澤, 而流及於後世, 詩人得其餘化, 故能懷其舊俗也.
鄭答張逸云 “舊俗者, 若晉有堯之遺風, 先王之澤, 衛有康叔餘烈.” 如此言,
則康叔當云先公, 而云先王者, 以變雅有先王之澤, 變風有先公之澤.
故季札見歌齊曰 “表東海者, 其太公乎.” 見歌小雅曰 “猶有先王之遺民.” 是其風稟先公, 雅稟先王也.
疏
上言國史作詩, 此言民之性, 明作詩皆在民意, 非獨國史能爲, 亦是互見也.
作詩止於禮義, 則應言皆合禮, 而變風所陳, 多說姦淫之狀者, 男淫女奔, 傷化敗俗,
詩人所陳者, 皆亂狀淫形, 時政之疾病也, 所言者, 皆忠規切諫, 救世之針藥也.
若夫疾病尙輕, 有可生之道, 則毉之治也用心銳,
, 知其必可生也.
疾病已重, 有將死之勢, 則醫之治也用心緩,
, 知其不可爲也. 詩人救世, 亦猶是矣.
疏
【疏】典刑未亡, 覬可追改, 則箴規之意切,
, 殷勤而責王也.
淫風大行, 莫之能救, 則匡諫之志微,
, 所以咨嗟歎息而閔世.
陳․鄭之俗, 亡形已成, 詩人度己箴規, 必不變改, 且復賦己之志, 哀歎而已, 不敢望其存, 是謂匡諫之志微.
故季札見歌陳曰 “國無主, 其能久乎.” 見歌鄭曰 “美哉, 其細已甚, 民弗堪也, 是其先亡乎.”
美者, 美詩人之情, 言不有先王之訓, 孰能若此. 先亡者, 見其匡諫意微, 知其國將亡滅也.
序
【序】是以로 一國之事가 繫一人之本을 謂之風이요 言天下之事하고 形四方之風을 謂之雅라
疏
○正義曰:序說正變之道, 以風․雅與頌區域不同, 故又辨三者體異之意.
是以者, 承上生下之辭, 言詩人作詩, 其用心如此.
一國之政事善惡, 皆繫屬於一人之本意, 如此而作詩者, 謂之風.
言道天下之政事, 發見四方之風俗, 如是而作詩者, 謂之雅. 言風․雅之別, 其大意如此也.
一人者, 作詩之人, 其作詩者, 道己一人之心耳, 要所言一人
心, 乃是一國之心.
詩人覽一國之意, 以爲己心, 故一國之事, 繫此一人, 使言之也.
但所言者, 直是諸侯之政, 行風化於一國, 故謂之風, 以其狹故也.
疏
【疏】言天下之事, 亦謂一人言之, 詩人摠天下之心, 四方風俗, 以爲己意, 而詠歌王政,
故作詩道說天下之事, 發見四方之風. 所言者, 乃是天子之政, 施齊正於天下, 故謂之雅, 以其廣故也.
風之與雅, 各是一人所爲, 風言一國之事繫一人, 雅亦天下之事繫一人.
雅言天下之事, 謂一人言天下之事, 風亦一人言一國之事.
序者, 逆順立文, 互言之耳. 故志張逸問 “嘗聞一人作詩, 何謂.”
答曰 “作詩者, 一人而已, 其取義者, 一國之事. 變雅則譏王政得失, 閔風俗之衰, 所憂者廣, 發於一人之本身.”
如此言, 風雅之作, 皆是一人之言耳, 一人美, 則一國皆美之, 一人刺, 則天下皆刺之.
疏
【疏】
, 妻怨其夫, 未必一國之妻, 皆怨夫耳.
, 下怨其上, 未必一朝之臣, 皆怨上也.
但擧其夫婦離絶, 則知風俗敗矣, 言己獨勞從事, 則知政敎偏矣, 莫不取衆之意, 以爲己辭, 一人言之, 一國皆悅.
假使聖哲之君, 功齊區宇, 設有一人, 獨言其惡, 如
之羞見殷湯, 伯夷․叔齊之恥事周武, 海內之心 不同之也.
無道之主, 惡加萬民, 設有一人, 獨稱其善, 如
,
, 天下之意, 不與之也.
必是言當擧世之心, 動合一國之意, 然後得爲風雅, 載在樂章, 不然則國史不錄其文也.
疏
【疏】此言謂之風雅, 理兼正變. 天下無道, 政出諸侯, 而變雅亦稱雅者, 當作變雅之時, 王政仍被邦國.
大學曰 “堯舜率天下以仁而民從之, 桀紂率天下以暴而民從之.” 是善政․惡政, 皆能正人, 所以幽厲之詩, 亦名爲雅.
及平王東遷, 政遂微弱, 其政纔行境內, 是以變爲風焉.
序
【序】雅者는 正也니 言王政之所由廢興也라 政有小大라 故有小雅焉하고 有大雅焉이라
疏
○正義曰:上已解風名, 故又解雅名. 雅者訓爲正也, 由天子以政敎齊正天下, 故民述天子之政, 還以齊正爲名.
王之齊正天下得其道, 則述其美, 雅之正經及
, 是也. 若王之齊正天下失其理, 則刺其惡, 幽厲小雅, 是也.
詩之所陳, 皆是正天下大法, 文武用詩之道則興, 幽厲不用詩道則廢.
此雅詩者, 言說王政所用廢興, 以其廢興, 故有美刺也, 又解有二雅之意.
王者政敎有小大, 詩人述之亦有小大, 故有小雅焉, 有大雅焉.
疏
【疏】小雅所陳, 有飮食賓客, 賞勞群臣, 燕賜以懷諸侯, 征伐以强中國, 樂得賢者, 養育人材, 於天子之政, 皆小事也.
大雅所陳, 受命作周, 代殷繼伐, 荷先王之福祿, 尊祖考以配天,
,
能官用士, 澤被昆蟲, 仁及草木, 於天子之政, 皆大事也.
詩人歌其大事, 制爲大體, 述其小事, 制爲小體, 體有大小, 故分爲二焉.
風見優劣之差, 故周南先於召南, 雅見積漸之義, 故小雅先於大雅, 此其所以異也, 詩體旣異, 樂音亦殊.
國風之音, 各從水土之氣, 述其當國之歌而作之, 雅頌之音, 則王者徧覽天下之志, 摠合四方之風而制之,
疏
【疏】詩體旣定, 樂音旣成, 則後之作者, 各從舊俗.
變風之詩, 各是其國之音, 季札觀之而各知其國, 由其音異故也, 小雅音體亦然.
正經述大政爲大雅, 述小政爲小雅, 有小雅․大雅之聲.
王政旣衰, 變雅兼作, 取大雅之音, 歌其政事之變者, 謂之變大雅, 取其小雅之音, 歌其政事之變者, 謂之變小雅,
故變雅之美刺, 皆由音體有小大, 不復由政事之大小也.
風述諸侯之政, 非無小大, 但化止一國, 不足分別, 頌則功成乃作, 歸美報神, 皆是大事, 無復別體, 故不分爲二風․二頌也.
序
【序】頌者는 美盛德之形容이니 以其成功으로 告於神明者也라
疏
○正義曰:上解風․雅之名, 風․雅之體, 故此又解頌名․頌體.
上文因變風․變雅作矣, 卽說風雅之體, 故言 ‘謂之風’, ‘謂之雅’, 以結上文,
此上未有頌作之言, 文無所結, 故云 ‘頌者 美盛德之形容’, 明訓‘頌’爲‘容’, 解頌名也. ‘以其成功 告於神明’, 解頌體也.
上言‘雅者 正也’, 此亦當云‘頌者 容也’, 以雅已備文, 此亦從可知, 故略之也.
易稱 “聖人擬諸形容, 象其物宜”, 則形容者, 謂形狀容貌也.
作頌者, 美盛德之形容, 則天子政敎有形容也. 可美之形容, 正謂道敎周備也.
故頌譜云 “天子之德, 光被四表, 格于上下, 無不覆燾, 無不持載”, 此之謂容, 其意出於此也.
疏
【疏】成功者, 營造之功畢也. 天之所營, 在於命聖, 聖之所營, 在於任賢, 賢之所營, 在於養民.
干戈旣戢, 夷狄來賓, 嘉瑞悉臻, 遠邇咸服, 群生盡遂其性, 萬物各得其所, 卽是成功之驗也.
萬物本於天, 人本於祖, 天之所命者, 牧民也, 祖之所命者, 成業也.
民安業就, 須告神使知, 雖社稷․山川․四嶽․河海, 皆以民爲主, 欲民安樂,
王者政有興廢, 未嘗不祭群神, 但政未太平, 則神無恩力, 故太平德洽, 始報神功.
疏
【疏】頌詩, 直述祭祀之狀, 不言得神之力, 但美其祭祀, 是報德可知.
商頌, 雖是祭祀之歌, 祭其先王之廟, 述其生時之功, 正是死後頌德, 非以成功告神, 其體異於周頌也.
魯頌, 主詠僖公功德, 纔如變風之美者耳, 又與商頌異也.
頌者, 美詩之名, 王者不陳魯詩, 魯人不得作風, 以其得用天子之禮,
故借天子美詩之名, 改稱爲頌, 非周頌之流也. 孔子以其同有頌名, 故取備三頌耳.
置之商頌前者, 以魯是周宗親同姓, 故使之先前代也.
疏
○正義曰:四始者, 鄭答張逸云 “風也, 小雅也, 大雅也, 頌也,
, 人君行之則爲興, 廢之則爲衰.”
又箋云 “始者, 王道興衰之所由.” 然則此四者, 是人君興廢之始, 故謂之四始也.
‘詩之至’者, 詩理至極, 盡於此也. 序說詩理旣盡, 故言此以終之.
案
云 “大明在亥, 水始也. 四牡在寅, 木始也. 嘉魚在巳, 火始也. 鴻鴈在申, 金始也.”
與此不同者, 緯文, 因金․木․水․火有四始之義, 以詩文託之.
疏
鄭以 “汎歷樞云 ‘午亥之際爲革命, 卯酉之際爲改正. 辰在天門, 出入候聽.
卯, 天保也. 酉, 祈父也. 午, 采芑也. 亥, 大明也.’ 然則亥爲革命, 一際也. 亥又爲天門出入候聽, 二際也.
卯爲陰陽交際, 三際也. 午爲陽謝陰興, 四際也. 酉爲陰盛陽微, 五際也.” 其六情者, 則春秋云 “喜怒哀樂好惡” 是也.
序
【序】然則關雎麟趾之化는 王者之風이라 故繫之周公이요 南은 言化自北而南也라
鵲巢․騶虞之德은 諸侯之風也니 先王之所以敎라 故繫之召公이라
箋
【箋】自는 從也니 從北而南은 謂其化從岐周被江漢之域也라 先王은 斥大王王季라
疏
【疏】‘然則關雎麟趾之化 王者之風 故繫之周公’至‘繫之召公’
○正義曰:序因關雎是風化之始, 遂因而申之, 廣論詩義詩理旣盡, 然後乃說周南召南.
然者, 然上語, 則者, 則下事, 因前起後之勢也. 然則關雎․麟趾之化, 是王者之風, 文王之所以敎民也.
王者必聖, 周公聖人, 故繫之周公. 不直名爲周, 而連言南者, 言此文王之化, 自北土而行於南方故也.
鵲巢․騶虞之德, 是諸侯之風, 先王大王․王季所以敎化民也. 諸侯必賢, 召公賢人, 故繫之召公.
不復言南, 意與周南同也. 周南言化, 召南言德者, 變文耳. 上亦云‘關雎, 后妃之德’, 是其通也.
諸侯之風, 言先王之所以敎, 王者之風, 不言文王之所以敎者, 二南皆文王之化, 不嫌非文王也.
疏
【疏】但文王所行, 兼行先王之道, 感文王之化爲周南, 感先王之化爲召南, 不言先王之敎, 無以知其然, 故特著之也.
此實文王之詩, 而繫之二公者, 志張逸問 “王者之風, 王者當在雅, 在風何.” 答曰 “文王以諸侯而有王者之化, 述其本宜爲風.”
逸以文王稱王, 則詩當在雅, 故問之. 鄭以此詩所述, 述文王爲諸侯時事, 以有王者之化, 故稱王者之風, 於時實是諸侯, 詩人不爲作雅.
文王三分有二之化, 故稱‘王者之風’, 是其風者, 王業基本.
此述服事殷時, 王業基本之事, 故云‘述其本宜爲風’也.
疏
【疏】化霑一國, 謂之爲風, 道被四方, 乃名爲雅.
文王纔得六州, 未能天下統一, 雖則大於諸候, 正是諸侯之大者耳.
此二南之人, 猶以諸侯待之, 爲作風詩, 不作雅體, 體實是風, 不得謂之爲雅.
文王末年, 身實稱王, 又不可以國風之詩繫之王身. 名無所繫, 詩不可棄,
其鹿鳴, 文王詩人, 本以天子待之作雅, 非基本之事, 故不爲風也.
若然, 作王者之風, 必感聖人之化, 已知文王之聖, 應知終必爲王.
文王於時未稱王號, 或爲作雅, 或爲作風, 人志不同故也.
疏
○正義曰:釋詁云 “從, 自也.” 反覆相訓, 是‘自’得爲‘從’也.
文王之國, 在於岐周東北, 近於紂都, 西北迫於戎狄, 故其風化南行也.
漢廣序云 “美化行乎江漢之域”, 是從岐周被江漢之域也.
太王始有王迹, 周之追謚, 上至太王而已, 故知先王, 斥太王․王季.
疏
周南․召南二十五篇之詩, 皆是正其初始之大道, 王業風化之基本也.
高以下爲基, 遠以近爲始, 文王正其家而後及其國, 是正其始也. 化南土以成王業, 是王化之基也.
季札見歌周南․召南曰 “始基之矣, 猶未也.” 服虔云 “未有雅․頌之成功.” 亦謂二南爲王化基始, 序意出于彼文也.
序
【序】是以
로 關雎樂得淑女以配君子
하고 在進賢
하여 不淫其色
이라
哀窈窕하고 思賢才하여 而無傷善之心焉하니 是關雎之義也라
箋
【箋】哀는 蓋字之誤也니 當爲衷이라 衷은 謂中心恕之라 無傷善之心은 謂好逑也라
○淑은 善也라 哀는 前儒竝如字라하니 論語云 哀而不傷이 是也로대 鄭氏改作衷이라
毛云 窈窕는 幽閑也라하고 王肅云 善心曰窈요 善容曰窕이라하다 恕는 本又作念이라
疏
○正義曰:上旣摠言二南, 又說關雎篇義, 覆述上后妃之德, 由言二南皆是正始之道, 先美家內之化.
是以關雎之篇, 說‘后妃心之所樂, 樂得此賢善之女, 以配己之君子, 心之所憂, 憂在進擧賢女, 不自淫恣其色,
又哀傷處窈窕幽閒之女未得升進, 思得賢才之人與之共事君子.
勞神苦思, 而無傷害善道之心, 此是關雎詩篇之義也’, 毛意當然. 定本‘是關雎之義’, 俗本‘是’下有‘以’者, 誤也.
鄭以‘哀’爲‘衷’, 言‘后妃衷心念恕, 在窈窕幽閒之善女, 思使此女有賢才之行, 欲令宮內和協, 而無傷害善人之心.’
疏
【疏】‘樂得淑女以配君子’, 言求美德善女, 使爲夫嬪御, 與之共事文王, 五章皆是也.
女有美色, 男子悅之, 故經傳之文, 通謂女人爲色. 淫者, 過也, 過其度量謂之爲淫.
男過愛女, 謂淫女色, 女過求寵, 是自淫其色, 此言‘不淫其色’者, 謂后妃不淫恣己身之色,
其者, 其后妃也. 婦德無厭, 志不可滿, 凡有情欲, 莫不妬忌, 唯后妃之心, 憂在進賢, 賢人不進, 以爲己憂.
不縱恣己色, 以求專寵, 此生民之難事, 而后妃之性能然, 所以歌美之.
疏
【疏】毛以爲 “哀窈窕之人, 與后妃同德者也, 后妃以己則能配君子, 彼獨幽處未升, 故哀念之也.”
‘哀窈窕’, 還是‘樂得淑女’也, ‘思賢才’, 還是‘憂在進賢’也, 殷勤而說之也.
指斥詩文, 則‘憂在進賢’, 下三章是也, ‘不淫其色’, 首章上二句是也.
此詩之作, 主美后妃進賢, 所以能進賢者, 由不淫其色, 故先言不淫其色.
序論作者之意, 主在進賢, 故先云進賢, 所以經序倒也. 鄭解‘哀’字爲異, 其經亦與毛同.
疏
○正義曰:以后妃之求賢女, 直思念之耳, 無哀傷之事在其閒也.
經云‘鍾鼓樂之’, ‘琴瑟友之’, 哀樂不同, 不得有悲哀也, 故云‘蓋字之誤’.
箋所易字多矣, 皆註云‘當爲某字’, 此在詩初, 故云‘蓋’爲疑辭, 以下皆倣此.
衷與忠, 字異而義同, 於文中心爲忠, 如心爲恕, 故云‘恕之’.
謂念恕此窈窕之女, 思使之有賢才, 言不忌勝己而害賢也.
‘無傷善之心’, 謂不用傷害善人. 經稱 “衆妾有逑怨, 欲令窈窕之女和諧, 不用使之相傷害.” 故云‘謂好逑也’.
疏
【疏】論語云 “關雎樂而不淫, 哀而不傷.” 卽此序之義也.
論語注云 “哀世夫婦不得此人, 不爲滅傷其愛.” 此以哀爲衷, 彼仍以哀爲義者,
鄭答劉炎云 “論語註人閒行久, 義或宜然, 故不復定, 以遺後說.” 是鄭以爲疑, 故兩解之也.
必知毛異於鄭者, 以此詩出於毛氏, 字與三家異者, 動以百數.
此序是毛置篇端, 若毛知其誤, 自當改之, 何須仍作哀字也.
毛無破字之理, 故知從哀之義. 毛旣以哀爲義, 則以下義勢皆異於鄭.
疏
【疏】‘思賢才’, 謂思賢才之善女也. ‘無傷善之心’, 言其能使善道全也.
庸人好賢則志有懈倦, 中道而廢則善心傷. 后妃能寤寐而思之, 反側而憂之, 不得不已, 未嘗懈倦,
是其善道必全, 無傷缺之心. 然則毛意‘無傷善之心’, 當謂三章是也.
王肅云 “哀窈窕之不得, 思賢才之良質, 無傷善之心焉. 若苟慕其色則善心傷也.”
傳
【傳】興也라 關關은 和聲也라 雎鳩는 王雎也니 鳥摯而有別이라 水中可居者曰洲라
后妃說樂君子之德하여 無不和諧하고 又不淫其色하여 愼固幽深이 若關雎之有別焉하니 然後에 可以風化天下라
夫婦有別則父子親하고 父子親則君臣敬하고 君臣敬則朝廷正하고 朝廷正則王化成이라
箋
【箋】箋云 摯之言은 至也니 謂王雎之鳥가 雌雄情意至로대 然而有別이라
○雎鳩는 鳥之有至別者라 案興是譬諭之名이니 意有不盡이라 故題曰興이니 他皆放此라
傳
【傳】窈窕는 幽閒也라 淑은 善이요 逑는 匹也라 言后妃有關雎之德하니 是幽閒貞專之善女라 宜爲君子之好匹이라
箋
【箋】箋云 怨耦曰仇니 言后妃之德和諧면 則幽閒處深宮貞專之善女가 能爲君子和好衆妾之怨者라
○好는 毛如字니 兎罝詩放此라 逑는 毛云 匹也라 本亦作仇하니 音同이라 鄭云怨耦曰仇하다
疏
○正義曰:毛以爲 “關關然聲音和美者, 是雎鳩也.
此雎鳩之鳥, 雖雌雄情至, 猶能自別, 退在河中之洲,
而相隨也.
以興情至性行和諧者, 是后妃也, 后妃雖說樂君子, 猶能不淫其色, 退在深宮之中, 不褻瀆而相慢也.
后妃旣有是德, 又不妬忌, 思得淑女以配君子, 故窈窕然處幽閒貞專之善女, 宜爲君子之好匹也.”
○鄭唯下二句爲異, 言“幽閒之善女, 謂三夫人․九嬪, 旣化后妃, 亦不妬忌,
故爲君子文王, 和好衆妾之怨耦者, 使皆說樂也.”
疏
○正義曰:釋詁云 “關關, 雍雍, 音聲和也.” 是關關爲和聲也.
‘雎鳩 王雎也’, 釋鳥文. 郭璞曰 “鵰類也, 今江東呼之爲鶚, 好在江邊沚中, 亦食魚.”
陸機疏云 “雎鳩, 大小如鴟, 深目, 目上骨露, 幽州人謂之鷲, 而揚雄․許愼皆曰 ‘白鷢, 似鷹, 尾上白.’”
定本云‘鳥摯而有別’, 謂鳥中雌雄情意至厚, 而猶能有別, 故以興后妃說樂君子情深, 猶能不淫其色.
傳爲‘摯’字, 實取至義, 故箋云 ‘摯之言至, 王雎之鳥, 雄雌情意至, 然而有別’, 所以申成毛傳也.
疏
【疏】‘水中可居者曰洲’, 釋水文也. 李巡曰 “四方皆有水, 中央獨可居.” 釋水又曰 “小洲曰渚, 小渚曰沚, 小沚曰坻.”
江有渚傳曰 “渚, 小洲也” 蒹葭傳․谷風箋竝云 “小渚曰沚” 皆依爾雅爲說也.
采蘩傳曰 “沚, 渚” 鳧鷖傳曰 “渚, 沚” 互言以曉人也.
蒹葭傳文云 “坻, 小渚也” 不言‘小沚’者, 沚․渚大小異名耳, 坻亦小於渚, 故擧渚以言之.
疏
【疏】‘和諧’者, 心中和悅, 志意諧適, 每事皆然, 故云‘無不和諧’.
又解以‘在河之洲’爲喩之意, 言后妃雖悅樂君子, 不淫其色,
能謹愼貞固, 居在幽閒深宮之內, 不妄淫褻君子, 若雎鳩之有別, 故以興焉.
后妃之德能如是, 然後可以風化天下, 使夫婦有別.
夫婦有別, 則性純子孝, 故能父子親也, 孝子爲臣必忠, 故父子親則君臣敬.
君臣旣敬, 則朝廷自然嚴正, 朝廷旣正, 則天下無犯非禮, 故王化得成也.
疏
○正義曰:窈窕者, 謂淑女所居之宮形狀窈窕然, 故箋言 ‘幽閒深宮’ 是也.
傳知然者, 以其淑女已爲善稱, 則‘窈窕’宜爲居處, 故云‘幽閒’, 言其幽深而閒靜也.
楊雄云‘善心爲窈, 善容爲窕’者, 非也. ‘逑 匹’, 釋詁文, 孫炎云‘相求之匹’. 詩本作逑, 爾雅多作仇, 字異音義同也.
又曰 ‘后妃有關雎之德 是幽閒貞專之善女 宜爲君子之好匹’者, 美后妃有思賢之心,
故說賢女宜求之狀, 摠言宜求爲君子好匹, 則摠謂百二十人矣.
疏
○正義曰:下箋‘三夫人․九嬪以下’, 此直云 ‘三夫人以下’, 然則九嬪以下, 摠謂衆妾,
三夫人以下, 唯兼九嬪耳, 以其淑女和好衆妾, 據尊者, 故唯指九嬪以上也.
求菜論皆樂后妃之事, 故兼言九嬪以下, 摠百二十人也. 若然, 此衆妾, 謂世婦․女御也.
周禮註云 “世婦․女御不言數者, 君子不苟於色, 有婦德者充之, 無則闕.”
所以得有怨者, 以其職卑德小, 不能無怨, 故淑女和好之.
見后妃和諧, 能化群下, 雖有小怨, 和好從化, 亦所以明后妃之德也.
疏
【疏】此言百二十人者, 周南王者之風, 以天子之數擬之, 非其時卽然也.
何者, 文王爲諸侯早矣, 豈先無嬪妾一人, 皆須后妃求之. 且百二十人之數, 周禮始置,
夏增以九女爲十二人, 殷則增以二十七人爲三十九人, 至周增以八十一人爲百二十人.”
當殷之時, 唯三十九人, 況文王爲諸侯世子, 豈有百二十人也.
傳
【傳】荇은 接余也요 流는 求也라 后妃有關雎之德하여 乃能共荇菜하고 備庶物하여 以事宗廟也라
箋
【箋】箋云 左右는 助也라 言后妃將共荇菜之葅에 必有助而求之者니 言三夫人九嬪以下가 皆樂后妃之事라
○左右는 王申毛如字하고 鄭上音佐下音佑라 共은 本或作供하니 下共荇菜竝同이라 菹는 字又作葅라 嬪은 內宮名이라
箋
【箋】箋云 言后妃覺寐則常求此賢女하니 欲與之共己職也라
疏
○毛以爲 “后妃性旣和諧, 堪居后職, 當共荇菜以事宗廟. 后妃言 此參差然不齊之荇菜, 須嬪妾左右佐助而求之.
由此之故, 思求淑女, 窈窕然幽閒貞專之善女, 后妃寤寐之時, 常求之也.”
疏
【疏】鄭以爲 “夫人․九嬪, 旣不妬忌, 世婦․女御, 又無怨爭, 上下說樂, 同化后妃,
故於后妃將共參差之荇菜, 以事宗廟之時, 則嬪․御之等, 皆競佐助后妃而求之, 言皆樂后妃之事.
旣言樂助后妃, 然後倒本其事, 后妃今日所以得佐助者,
由此幽閒之善女未得之時, 后妃於覺寐之中常求之, 欲與之共己職事, 故得之也.”
疏
○正義曰:釋草云 “莕, 接余, 其葉
.” 陸機疏云 “接余, 白莖, 葉紫赤色正員, 徑寸餘.
浮在水上, 根在水底, 與水深淺等. 大如釵股, 上靑下白,
其白莖, 以苦酒浸之, 肥美可案酒.”是也.
定本 ‘荇, 接余也’, 俗本 ‘荇’下有‘菜’字, 衍也. ‘流 求’, 釋言文也.
所以論求菜事, 以美后妃者, 以德不和諧, 不當神明, 則不能事宗廟.
今后妃和諧, 有關雎之德, 乃能共荇菜, 備庶物, 以事宗廟也.
疏
【疏】案天官醢人陳
, 無荇菜者, 以殷禮, 詩詠時事, 故有之.
言‘備庶物’者, 以荇菜亦庶物之一, 不謂今后妃盡備庶物也.
禮記祭統曰 “
, 小物備矣. 三牲之俎, 八簋之實, 美物備矣. 昆蟲之異, 草木之實, 陰陽之物備矣.
凡天之所生, 地之所長, 苟可薦者, 莫不咸在, 示盡物也.” 是祭必備庶物也.
此經序無言祭事, 知事宗廟者, 以言‘左右流之’, 助后妃求荇菜, 若非祭菜, 后不親采. 采蘩言夫人奉祭, 明此亦祭也.
疏
○正義曰:‘左右 助也’, 釋詁文. 此章未得荇菜, 故助而求之.
旣得, 故四章論‘采之’. 采之旣得, 故卒章言‘擇之’. 皆是淑女助后妃, 故每云‘左右’.
此章始求, 謂未當祭時, 故云‘將共荇菜’. 四章‘琴瑟友之’, 卒章‘鍾鼓樂之’, 皆謂祭時, 故箋云‘共荇菜之時’也.
疏
【疏】故天官九嬪職云 “凡祭祀, 贊后薦徹豆籩.” 世婦職云 “祭之日, 莅陳女
之具, 凡
.”
女御職曰 “凡祭祀, 贊世婦.” 天官序官注云 “夫人之於后, 猶三公之於王, 坐而論婦禮, 無官職之事.” 明祭時皆在,
故下章論祭時, 皆有淑女之文, 明贊助可知也. 此‘九嬪以下’, 兼世婦․女御也.
言‘皆樂后妃之事’者, 明旣化其德, 又樂其事, 見后妃德盛感深也.
事者, 荇菜之事也, 事爲勞務, 尙能樂之, 況於其德乎.
箋
【箋】箋云 服은 事也라 求賢女而不得하여 覺寐則思己職事를 當誰與共之乎아하다
箋
【箋】箋云 思之哉思之哉는 言己誠思之라 臥而不周曰輾이라
○輾은 本亦作展이라 鄭云 不周曰輾은 注本或作臥而不周者에 剩二字也라
疏
○毛以爲 “后妃求此賢女之不得, 則覺寐之中, 服膺念慮而思之.
又言‘后妃誠思此淑女哉, 誠思此淑女哉’, 其思之時則輾轉而復反側, 思念之極深也.”
○鄭唯以服爲事, 求賢女而不得, 覺寐則思己職事, 當誰與共之. 餘同也.
疏
○正義曰:王肅云 “服膺思念之.” 箋以釋詁文‘服 事也’, 本求淑女爲己職事, 故易之也.
疏
○正義曰:
曰 “帝猶反側晨興” 則反側亦臥而不正也. 反側旣爲一, 則輾轉亦爲一, 俱爲臥而不周矣.
箋獨以輾爲不周者, 辨其難明, 不嫌與轉異也. 澤陂云‘輾轉伏枕’ 伏枕, 據身伏而不周, 則輾轉同爲不周明矣.
反側猶反覆, 輾轉猶婉轉, 俱是迴動, 大同小異, 故何人斯箋 “反側, 輾轉” 是也.
箋
【箋】箋云 同志爲友라 言賢女之助后妃하여 共荇菜하니 其情意乃與琴瑟之志同이라 共荇菜之時에 樂必作이라
疏
○毛以爲 “后妃本已求淑女之意, 言旣求得參差之荇菜, 須左右佐助而采之, 故所以求淑女也,
故思念此處窈窕然幽閒之善女, 若來則琴瑟友而樂之.” 思設樂以待之, 親之至也.
疏
【疏】○鄭以爲 “后妃化感群下, 旣求得之, 又樂助采之, 言‘參差之荇菜求之旣得, 諸嬪御之等, 皆樂左右助而采之.
旣化后妃, 莫不和親, 故當共荇菜之時, 作此琴瑟之樂, 樂此窈窕之淑女.”
其情性之和, 上下相親, 與琴瑟之音, 宮商相應無異, 若與琴瑟爲友然, 共之同志, 故云‘琴瑟友之’.
疏
○正義曰:此稱后妃之意. 后妃言 ‘己思此淑女, 若來, 己宜以琴瑟友而樂之.’
言友者, 親之如友. 下傳曰 ‘德盛者, 宜有鍾鼓之樂’, 與此章互言也.
明淑女若來, 琴瑟鍾鼓竝有, 故此傳幷云‘友樂之’, 亦逆取下章之意也.
以樂有二等, 相分以著義. 琴瑟, 樂之細者, 先言之, 見其和親, 鍾鼓, 樂之大者, 故卒章言之, 顯其德盛.
疏
【疏】毛氏於序不破哀字, 則此詩所言, 思求淑女而未得也, 若得則設琴瑟鍾鼓以樂此淑女.
故孫毓述毛云 “思淑女之未得, 以禮樂友樂之.” 是思之而未致, 樂爲淑女設也.
知非祭時設樂者, 若在祭時, 則樂爲祭設, 何言德盛. 設女德不盛, 豈祭無樂乎.
又琴瑟樂神, 何言友樂也. 豈得以祭時之樂, 友樂淑女乎. 以此知毛意思淑女未得, 假設之辭也.
疏
今淑女來之, 雍穆如琴瑟之聲和, 二者志同, 似於人友, 故曰‘同志爲友’.
琴瑟與鍾鼓, 同爲祭時, 但此章言采之, 故以琴瑟爲友以韻之, 卒章云芼, 故以鍾鼓爲樂以韻之, 俱祭時所用, 而分爲二等耳.
此箋‘樂必作’, 兼下鍾鼓也. 下箋‘琴瑟在堂’, 亦取此云‘琴瑟友之’, 言淑女以琴瑟爲友.
下云‘鍾鼓樂之’, 共荇菜之事, 爲鍾鼓樂淑女. 二文不同者, 因事異而變其文.
以琴瑟相和, 似人情志, 故以友言, 鍾鼓鏗宏, 非情志可比, 故以樂言之, 見祭時淑女情志之和, 而因聽祭樂也.
疏
○正義曰:釋言云 “芼, 搴也.” 孫炎曰 “皆擇菜也.” 某氏曰 “搴猶拔也.” 郭璞曰 “拔取菜也.” 以搴是拔之義.
史記云 “斬將搴旗”, 謂拔取敵人之旗也. 芼訓爲拔, 而此云芼之, 故知拔菜而擇之也.
箋
【箋】箋云 琴瑟在堂하고 鍾鼓在庭이니 言共荇菜之時에 上下之樂皆作하여 盛其禮也라
疏
○正義曰:知‘琴瑟在堂 鍾鼓在庭’者, 皐陶謨云 “琴瑟以詠, 祖考來格”,
乃云 “下管鼗鼓”, 明琴瑟在上, 鼗鼓在下. 大射禮 “頌鍾在西階之西, 笙鍾在東階之東” 是鍾鼓在庭也.
此詩美后妃能化淑女, 共樂其事, 旣得荇菜以祭宗廟, 上下樂作, 盛此淑女所共之禮也. 樂雖主神, 因共荇菜, 歸美淑女耳.
關雎五章이니 章四句라 故言 三章이니 一章은 章四句요 二章은 章八句라
○五章은 是鄭所分이요 故言以下는 是毛公本意니 後放此라
疏
【疏】自古而有篇․章之名, 與詩
俱興也, 故那序曰 “得商頌十二篇.” 東山序曰 “一章言其完.” 是也.
句則古者謂之爲言, 論語云“詩三百, 一言以蔽之, 曰思無邪.” 則以‘思無邪’一句爲一言.
左氏曰 “臣之業, 在揚之水卒章之四言”, 謂第四句, 不敢告人也, 及趙簡子稱子大叔 “遺我以九言”, 皆以一句爲一言也.
秦․漢以來, 衆儒各爲訓詁, 乃有句稱, 論語注云 “此我行其野之句”是也.
句必聯字而言, 句者局也, 聯字分疆, 所以局言者也.
章者明也, 摠義包體, 所以明情者也. 篇者徧也, 言出情鋪, 事明而徧者也.
疏
【疏】然字之所用, 或全取以制義, ‘關關雎鳩’之類也, 或假辭以爲助, 者․乎․而․只․且之類也.
句者, 聯字以爲言, 則一字不制也. 以詩者申志, 一字則言蹇而不會, 故詩之見句, 少不減二, 卽‘祈父’․‘肇禋’之類也.
三字者, ‘綏萬邦’․‘婁豐年’之類也. 四字者, ‘關關雎鳩’․‘窈窕淑女’之類也. 五字者, ‘誰謂雀無角, 何以穿我屋’之類也.
六字者,
之類也. 七字者, ‘如彼築室於道謀’․‘尙之以瓊華乎而’之類也.
八字者, ‘十月蟋蟀入我牀下’․‘我不敢效我友自逸’是也, 其外更不見九字․十字者.
疏
【疏】
論云 “詩有九言者, ‘泂酌彼行潦挹彼注玆’是也.” 徧檢諸本, 皆云 “泂酌三章, 章五句”, 則以爲二句也.
云 “詩禮本無九言者, 將由聲度闡緩, 不協金石, 仲
之言, 未可據也.”
句字之數, 四言爲多, 唯以二․三․七․八․者, 將由言以申情, 唯變所適, 播之樂器, 俱得成文故也.
詩之大體, 必須依韻, 其有乖者, 古人之韻不協耳. 之․兮․矣․也之類, 本取以爲辭, 雖在句中, 不以爲義, 故處末者, 皆字上爲韻.
之者, ‘左右流之’․‘寤寐求之’之類也. 兮者, ‘其實七兮’․‘迨其吉兮’之類也.
矣者, ‘顔之厚矣’․‘出自口矣’之類也. 也者, ‘何其處也’․‘必有與也’之類也.
疏
然人志各異, 作詩不同, 必須聲韻諧和, 曲應金石,
亦有卽將助句之字, 以當聲韻之體者, 則‘彼人是哉, 子曰何其’,
‘不思其反, 反是不思, 亦已焉哉’, ‘是究是圖, 亶其然乎’, ‘其虛其徐, 旣亟只且’之類是也.
章者, 積句所爲, 不限句數也, 以其作者陳事, 須有多少章摠一義, 必須意盡而成故也.
累句爲章, 則一句不可. 二句得爲之, 盧令及魚麗之下三章是也. 其三句 則麟趾․甘棠․騶虞之類是也.
其多者, 載芟三十一句, 閟宮之三章三十八句, 自外不過也.
疏
【疏】篇之大小, 隨章多少. 風․雅之中, 少猶兩章以上, 卽騶虞․渭陽之類是也, 多則十六以下, 正月․桑柔之類是也.
以其風․雅敘人事, 刺過論功, 志在匡救, 一章不盡, 重章以申殷勤, 故風․雅之篇, 無一章者.
頌者, 太平德洽之歌, 述成功以告神, 直言寫志, 不必殷勤, 故一章而已.
魯頌不一章者, 魯頌美僖公之事, 非告神之歌, 此則論功頌德之詩, 亦殷勤而重章也.
一人, 而玄鳥一章, 長發․殷武重章者, 或詩人之意, 所作不同, 或以武丁之德, 上不及成湯, 下又踰於魯僖.
論其至者, 同於太平之歌, 述其祖者, 同於論功之頌, 明成功有大小, 其篇詠有優劣
.
疏
或篇有數章, 章句衆寡不等, 章有數句, 句字多少不同, 皆由各言其情, 故體無恒式也.
疏
【疏】東山序云一章․二章․三章․四章, 不謂末章爲卒章, 及左傳曰七月之卒章, 又楊之水卒章者,
東山分別章意, 從一而終於四, 故不言卒章也, 左傳言卒章者, 卒, 終也, 言終篇之章.
言卒者, 對始也, 終篇爲卒章, 則初篇爲首章矣, 故鄭注禮記云 ‘緇衣之首章’是也.
若然, 言卒者, 對首也, 則武唯一章, 而左傳曰 “作武, 其卒章曰 ‘耆定爾功’”者, 以‘耆定爾功’是章之卒句故也.
大司樂注云 “騶虞, 樂章名, 在召南之卒章”者, 正謂其卒篇. 謂之章者, 乘上騶虞爲樂章, 故言‘在召南之卒章’也.
定本章句在篇後, 六藝論云 “未有若今傳訓章句” 明爲傳訓以來, 始辨章句, 或毛氏卽題, 或在其後人, 未能審也.
○‘관저關雎’는 구해舊解에 “311편의 시는 모두 작자作者가 직접 이름을 붙였다.” 하였다.
‘후비后妃’는 ≪이아爾雅≫에 “비妃는 이姬이니 배우자이다.” 하고, ≪춘추좌씨전春秋左氏傳≫에 “훌륭한 배우자를 비妃라 한다.” 하고, ≪예기禮記≫에 “천자天子의 비妃를 후后라 한다.” 하였다.
‘지덕야之德也’는 구설舊說에 “여기부터 ‘용지방국언用之邦國焉’까지가 〈관저關雎〉의 서序이니 이를 ‘소서小序’라 하고, ‘풍 풍야風 風也’에서 끝까지를 ‘대서大序’라 한다.” 하였다.
침중沈重이 “정현鄭玄의 ≪시보詩譜≫를 살펴보니, 대서大序는 자하子夏가 지었고, 소서小序는 자하子夏와 모공毛公의 합작으로 자하子夏의 뜻에 미진함이 있는 것을 모공毛公이 다시 보충하여 이룬 것이다.” 하였다.
혹자는 “소서小序는 동해 위경중東海 衛敬仲이 지은 것이다.” 하였다. 이제 살펴보면 이 서序는 〈관저關雎〉만의 서序인데 ≪시詩≫의 강령綱領을 총론하였으니, 대서大序와 소서小序의 차이가 없다.
해설은 〈침중沈重의〉 ≪모시의毛詩義≫의 서序에 보인다. 모두 정현鄭玄의 주석注釋이면서 ‘전운箋云’이 없는 까닭은 의심하고 논란할 것이 없기 때문이다.
疏
○정의왈正義曰:모든 편의 서序는 모두 한 편篇의 뜻을 말하였지만, 다만 ≪시경詩經≫의 뜻이 매우 깊고 넓으며 이 편의 ‘서序’는 전편全篇의 시작이다. 그리하여 ≪시경詩經≫의 대강大綱을 모두 여기에 거론하였다.
이를 나누어 15절節로 만들어 해당 절節에서 따로 차례를 설명하고 있으므로 여기에서 다시 중복하지 않는다. 〈관저關雎〉를 지은 것은 후비后妃의 덕을 말한 것이다.
≪예기禮記≫ 〈곡례曲禮〉에 “천자天子의 비妃를 후后라 한다.” 하였는데, 주注에 “후后는 ‘뒤’이다.” 하였으니, 내전의 일을 책임지고 다스리면서 천자의 뒤에 있는 것이다. ≪이아爾雅≫ 〈석고釋詁〉에 “비妃는 짝이다.” 하였는데 남편에게 짝이 됨을 말한 것이다.
천자天子의 아내만을 ‘후后’라고 칭하고 ‘비妃’는 상하上下에 통용하는 호칭이기 때문에 ‘비妃’를 ‘후后’에 짝하여 말하였다. ‘덕德’은 ‘얻는다’로, 본디 몸에 체득한 것이니, 사람의 행실을 총괄하는 명칭이다.
이 편은 후비后妃가 성품과 행실이 부드럽고 온화하며, 올곧고 전일한 덕으로 아랫사람을 감화시키며, 오매불망 어진 이를 구하고 직분을 다함을 말하였으니, 이것이 후비后妃의 덕이다.
疏
주남周南과 소남召南은 실제로 문왕文王의 교화敎化인데 후비后妃의 덕을 찬미한 것은, 부부夫婦가 인륜人倫의 핵심이기 때문에 부부夫婦가 바르면 부자父子가 친하고, 부자父子가 친하면 군신君臣이 공경한다.
이 때문에 시詩를 지은 자가 성정性情을 노래하였고, 음양陰陽이 중하기 때문에 시의 바탕으로 삼아 남녀의 일을 노래한 것이 많다.
후비后妃를 찬미하는 내용을 말하지 않은 것은, 이 시를 지은 이유가 후비의 덕택에 감화되어 후비의 성품과 행실을 노래함으로써 성군聖君의 교화敎化를 드러내고자 하여, 알려지지 않은 부분을 드러내어 말한 것이지 후비가 이러한 행실을 한 것을 포상褒賞하고자 한 것이 아니기 때문이다.
그리하여 경經의 정풍正風에서 으레 찬미하는 내용을 말하지 않은 것은 모두 이 뜻이다. 변풍變風에서는 정교政敎가 이미 실추되어 악을 행하는 사람이 많았으므로 만일 선을 행하는 사람이 있으면 그 선한 일을 포상하였다.
그리하여 험윤玁狁을 정벌함에 비로소 우국憂國의 마음을 알 수 있고, 호천昊天을 우러름에 비로소 비를 구하는 간절한 마음을 알 수 있었으니, 뜻이 정풍正風과 다르다. 그리하여 서序에서 편마다 찬미하는 내용을 말한 것이다.
序
국풍國風의 시작이니 천하를 교화하여 부부의 도를 바르게 한 것이다. 그리하여 이 시를 향인鄕人들에게 사용하고 방국邦國에도 사용하였다.
○‘풍지시風之始’의 이 ‘풍風’은 15국풍國風을 말한 것이니 ‘풍風’은 제후의 정치와 교화이다. 다음의 ‘소이풍천하所以風天下’는 ≪논어論語≫의 “군자지덕풍君子之德風(군자의 덕은 풍風이다.)”과 함께 모두 이러한 뜻이다.
‘소이풍所以風〈의 풍風〉’은 본래의 음으로 읽는다. 서막徐邈은 복福과 풍風의 반절反切로 보았으나 지금은 쓰이지 않는다.
疏
○정의왈正義曰:서序에서 후비后妃가 〈군자를 위하여〉 숙녀淑女를 얻음을 기뻐하고, 자신의 아름다움을 지나치게 드러내지 않는 것은 집안사람의 작은 일일 뿐인데도 ≪시경詩經≫의 첫 편으로 삼고 그것으로 가악歌樂을 만들었다.
그러므로 후비后妃의 덕德 아래에 곧바로 이 뜻을 거듭 밝혀 후비后妃가 아름다운 덕을 소유한 것이 문왕文王의 풍화風化의 시작임을 말한 것이다.
문왕이 교화를 행한 것이 그 아내에서 시작되었으니, 이것을 풍교風敎의 시작으로 삼아 천하의 백성을 풍화風化하여 그들로 하여금 모두 부부의 도를 바르게 하였음을 말한 것이다.
주공周公이 예악禮樂을 제정하여 향인鄕人에게 사용하되 향대부鄕大夫로 하여금 그 백성들을 교화하게 하고, 또 방국에 사용하되 천하의 제후로 하여금 예악을 가지고 그 신하들을 교화하게 하였다.
천자로부터 서민에 이르기까지 다 이 시를 알아 모두 부부의 도를 바르게 하기를 바랐다. 그리하여 정현鄭玄의 ≪시보詩譜≫에 “천자와 제후가 그 신하들에게 잔치를 열 때에 모두 〈녹명鹿鳴〉을 노래하고 향악을 합주하였다.”는 것이 이것이다.
疏
≪의례儀禮≫ 〈향음주례鄕飮酒禮〉는 향대부鄕大夫가 3년마다 어질고 능력 있는 사람을 빈객의 예로 천거하는 일인데, 그 경經에 “〈주남 관저周南 關雎〉를 함께 연주하였다.” 하였으니, 이는 〈관저關雎〉를 향인鄕人에게 쓴 것이다.
연례燕禮는 제후諸侯가 그 신하나 빈객들에게 술을 대접하고 잔치를 베푸는 예禮인데, 그 경經에 “마침내 향악과 〈주남 관저周南 關雎〉를 노래하였다.” 하였으니, 이는 〈관저關雎〉를 방국에 쓴 것이다.
교화를 펴는 법은 위로부터 내려오는 것이니, 당연히 천자가 제후를 교화하고 〈제후가〉 대부를 교화하며, 대부가 그 백성들을 교화하는 것이다.
이제 여기에서 천하를 교화하고 부부의 도를 바르게 하는 것을 먼저 말하였으니, 이미 교화가 백성들에게 미쳐서 마침내 백성에게까지 넓혀진 것이므로 향인을 먼저 말하고 방국을 뒤에 말하였다.
노자老子의 ≪도덕경道德經≫에 “도를 집에서 닦으면 덕이 여유 있게 되고, 나라에 닦으면 그 덕이 풍성해지며, 천하에 닦으면 그 덕이 널리 퍼진다.” 한 것도 좁은 곳에서부터 넓은 곳으로 미친 것이니, 이와 같은 뜻이다.
序
‘풍風’은 바람을 일으키는 것이고 가르치는 것이니, 바람을 일으켜 움직이게 하고 가르쳐 변화하게 하는 것이다.
○‘풍 풍야風 風也’ 〈위의 풍風자와 아래의 풍風자는〉 모두 본음대로 읽는다. 서씨徐氏(서막徐邈)는 위의 풍風은 본음대로 읽고 아래의 풍風은 ‘복福과 봉鳳의 반절反切’로 보았다. 최영은崔靈恩의 모시주본毛詩注本에는 아래의 풍風자가 풍諷자로 되어 있다.
유씨劉氏(유환劉瓛)는 “물건을 흔드는 것을 풍風이라 하고 뜻을 음성에 가탁하는 것을 풍諷이라 한다.” 하고, 최영은崔靈恩은 “풍자하여 물건을 감화시키는 것을 풍諷이라 한다.” 하고,
침중沈重은 “위의 풍風은 ‘국풍國風’이니 ≪시경詩經≫의 육의六義이고, 아래의 풍風은 ‘풍백風伯이 고동鼓動한다’는 풍風이다. 임금이 위에서 교화하여 만물을 변화하게 하는 것이 ‘바람이 지나가면 풀이 눕는 것’과 같다.” 하였으니, 이제 침중沈重의 설說을 따른다.
‘풍이동지風以動之’의 풍風은 본음대로 읽으니, 침중沈重이 “아랫사람이 윗사람을 풍자하여 감동시키는 것을 이르는 명칭이니 ‘변풍變風’이다.” 하였으나, 지금은 적용하지 않는다.
疏
○정의왈正義曰:위에서 말한 ‘풍지시風之始’는 천하를 교화시키는 처음을 말한 것이다. 서序에서 또 명칭을 풀어 교敎를 풍風의 뜻으로 삼아 ‘풍風’을 ‘풍자하다’와 ‘교화하다’로 풀었으니,
‘풍諷’은 넌지시 알리는 것이고 ‘교敎’는 은근히 가르쳐서 보여주는 것이므로 ‘풍諷’은 ‘교敎’와 처음과 끝의 다른 명칭일 뿐이다.
왕이 교화를 펼 때에 먼저 풍유諷諭에 의지하여 교화하여 백성들이 점차 깨우치면 그런 뒤에야 교명敎命을 밝혀 교화한다. 바람이 부는 곳에는 어떤 사물이든 흔들리지 않는 것이 없고, 교화가 미치는 곳에는 이르는 곳마다 젖어들지 않는 것이 없으므로 명칭을 취한 것이다.
序
시詩는 뜻이 옮겨가는 것이니, 마음에 있으면 뜻이고 말로 드러내면 시가 된다.
疏
○정의왈正義曰:위에서는 시로 교화함을 말하였고, 여기에서는 또 시가 지어진 연유를 말하였다. 시詩는 사람의 뜻이 옮겨가는 것이니,
비록 옮겨가는 바가 있더라도 입으로 표현되지 않고 마음속에 보존되어 있으면 ‘지志’라 하고 말로 표현되어야만 ‘시詩’라 한다.
‘시를 짓는다’는 것은 마음속의 울분을 펼쳐내어 마침내 노래하고 읊조리는 것이다. 그리하여 ≪상서尙書≫ 〈우서 순전虞書 舜典〉에 “시는 뜻을 말하는 것이다.”라고 한 것이다.
온갖 생각을 간직한 것을 마음이라 하고, 사물에 감촉되어 움직이는 것을 뜻이라 한다.
뜻이 옮겨감에 외물이 이에 감촉되어 응하니, 기쁜 뜻을 가지면 화락한 마음이 일어나 칭송하는 소리가 일어나고, 근심하는 뜻을 가지면 서글픈 마음이 일어나 원망과 풍자가 생겨나는 것을 말한다.
≪한서漢書≫ 〈예문지藝文志〉에 “슬프고 즐거운 정서를 느끼면 가영歌詠의 소리가 일어난다.” 한 것이 이것이다. 정풍正風과 변풍變風을 함께 시라고 하는 것은 모두 뜻이 옮겨간 것이기 때문이다.
序
감정이 마음속에서 움직이면 말에 드러나는데, 말로는 부족하기 때문에 감탄하고 탄식하며, 감탄하고 탄식하는 것으로는 부족하기 때문에 길게 노래하고, 길게 노래하는 것으로는 부족하기 때문에 자신도 모르게 손으로 춤추고 발로 구른다.
○‘차嗟’는 감탄이다. ‘탄歎’은 ‘탄嘆’으로 되어 있는 본本도 있으니 탄식이다. ‘도蹈’는 발을 움직여 땅을 밟는 것이다.
疏
○정의왈正義曰:위에서 ‘〈마음에 있으면 뜻이고〉 말로 드러내면 시가 된다.’라 하여 시와 뜻의 차이를 구별하였으나, 말만 하는 것은 시가 아니므로 다시 시는 길게 노래한다는 뜻을 서술하였다.
‘정情’은 슬퍼하고 즐거워하는 감정을 말하고 ‘중中’은 속마음을 말하니, 슬퍼하고 즐거워하는 감정이 속마음에서 움직여 입으로 나와 말로 드러냄을 말한 것이다.
처음 말을 할 때에는 다만 평이平易하게 말할 뿐이니, 평이하게 말하여 뜻을 다 표현하지 못하면 말로 뜻을 다 펴지 못할까 염려하여 감탄하고 탄식함이 어울려 이어지고,
감탄하고 탄식함으로도 부족할까 염려하여 길게 소리를 내어 노래하고, 길게 노래를 하는 것으로도 부족할까 염려하여 문득 자신도 모르게 손을 들어 춤추고 발로 구르게 된다는 것이다.
말하자면 몸이 마음의 지배를 받아 자신도 모르게 손을 들어 춤추고 발로 구르는 것이니, 이와 같은 뒤에라야 마음속의 울분을 펼 수 있으므로 시는 반드시 길게 노래하는 것임을 말하였다.
성왕聖王이 사람의 감정이 이와 같음을 알아 시를 음악에 사용하였으니, 사람들로 하여금 소리를 내어 노래하고 읊조리게 한 것은 그 음영吟詠하는 말을 표현한 것이고, 동작하고 춤추는 것은 그 춤추고 구르는 것을 표현한 것이니, 슬프고 즐거운 형상을 갖추어 표현한 뒤에야 그 마음을 다할 수 있기 때문이다.
‘정동어중情動於中’은 곧 ‘재심위지在心爲志’이고, ‘형어언形於言’은 곧 ‘발언위시發言爲詩’이니, 위에서는 시詩가 지志에서 나오는 것을 분별하여 밝혔고, 여기에서는 시는 반드시 노래해야 하는 것을 말했으므로 글을 중복시킨 것이다.
疏
정본定本에는 ‘언지부족고차탄지言之不足故嗟歎之’라 하였는데 속본俗本에는 ‘언지言之’ 아래에 ‘자者’자가 있으니 잘못이고, 정본定本에는 ‘영가지부족永歌之不足’ 아래에 ‘고故’자가 없는데 〈속본俗本에는〉 ‘고故’자가 있는 것도 잘못이다.
≪예기禮記≫ 〈악기樂記〉에 “가歌라는 것은 길게 말하는 것이다. 기뻐하므로 말을 하고, 말하는 것으로는 부족하므로 길게 말하며,
길게 말하는 것으로는 부족하므로 감탄하고 탄식하며, 감탄하고 탄식하는 것으로는 부족하므로 손을 들어 춤추고 발로 구른다.” 하였으니, 〈악기樂記〉의 글이 ≪시경詩經≫과 거의 같다.
‘설지고언지說之故言之’는 ‘말하기 전의 감정이 입으로 나옴’을 말한 것이니 이 경의 ‘정동어중이형어언情動於中而形於言’과 같다.
≪상서尙書≫ 〈우서虞書〉 “가영언歌永言”의 주注에 “노래는 시의 뜻을 길게 말한 것이다.” 하였으니 ‘영가永歌’와 ‘장언長言’은 한 가지 일이다.
〈악기樂記〉의 주注에 “차탄嗟歎이 어울려 이어진 것이다.” 하였으니, 말을 한 뒤에 감탄하고 탄식하는 소리가 그 말과 어울려 이어짐을 말한 것이다.
〈악기樂記〉는 먼저 ‘장언지長言之’를 말하고 이어서 ‘차탄지嗟歎之’를 말했는데, 여기서는 먼저 ‘차탄지嗟歎之’를 말하고 ‘영가지永歌之’를 말한 것은 다만 차탄하고 나서 길게 노래하고 또 다시 차탄함을 말한 것이니, 피차 각각 그 한 가지를 말하였으므로 같지 않은 것이다.
≪한서漢書≫ 〈예문지藝文志〉에 “말을 외우는 것을 시라 하고 그 소리를 읊조리는 것을 노래라 한다.” 하였으니, 그렇다면 마음에 있는 것이 ‘지志’가 되고, 입으로 나온 것이 ‘언言’이 되며,
말을 외우는 것이 ‘시詩’가 되고, 소리를 읊조리는 것이 ‘가歌’가 되며, 팔음八音으로 연주하는 것을 ‘악樂’이라 하니, 모두 처음부터 끝까지의 다른 이름일 뿐이다.
序
감정이 소리로 표현되어 소리가 문양文樣을 이룬 것을 음音이라 한다.
箋
‘발發’은 ‘드러남’과 같다. ‘성聲’은 궁宮․상商․각角․치徵․우羽를 말하니 ‘성성문聲成文’은 궁宮․상商․각角․치徵․우羽가 상하로 서로 응하는 것이다.
○‘응應’은 ‘응대한다’의 응應이니 아래의 주注도 같다.
疏
○정의왈正義曰:‘정발어성情發於聲’은 사람의 슬프고 즐거운 감정이 말하는 소리에 드러나는 것이니, 이때는 비록 슬프고 즐거운 일을 말하지만 궁상宮商의 음조가 없어 단지 소리일 뿐이다.
시를 짓게 되면 음의 청탁을 차서에 맞게 하고 높낮이를 박자에 맞게 하여 오성五聲으로 곡이 되게 하는 것이 오색으로 문양을 이루는 것과 같으니, 혼자서 능히 할 수 있는 것이다.
그 문양을 이룬 소리에 의지하는 것이 바로 ‘음音’이고, 이 음을 악기에 올린 뒤에야 ‘악樂’이라 명명하니 비록 사람에게 있고 악기에 있더라도 모두 ‘음音’이라 할 수 있다.
아래 글에서 ‘치세治世의 음音’이라고 한 것은 악음이니, 여기의 ‘성성문 위지음聲成文 謂之音’도 음악의 ‘음音’을 말한 것이다.
음악의 처음을 따져보면 음악은 사람의 음성을 모방하니, 사람의 음성은 크고 작으며 높고 낮음의 차이가 있고, 악기는 궁宮․치徵․상商․우羽의 차이가 있는데 사람의 음성에 따라 악기를 만들고 악기에 의탁하여 사람의 음성을 묘사한다.
이는 음악이 사람을 본받은 것이지 사람이 음악을 본받은 것이 아니다. 다만 악곡樂曲이 정해져서 법이 먼저 이루어지면 후인後人이 시를 지을 때 옛 법에 따라 맞추니, 이것이 ‘성성문 위지음聲成文 謂之音’이다.
疏
만약 음악이 만들어진 초기를 근거해보면 사람이 문양을 이룰 수 있어야만 음악의 영역에 들어갈 수 있고, 만약 악곡樂曲이 만들어진 뒤를 근거해보면 사람이 시를 지을 때에 먼저 이루어진 악곡의 곡조를 따라야만 음악이 될 수 있다.
소리는 감정을 묘사하기 때문에 〈소리를 들으면〉 감정을 모두 알 수 있다. 음악을 듣고서 치란治亂을 알고, 음악을 관찰하여 성쇠盛衰를 안다. 그리하여 신고神瞽가 취향趣向을 알 수 있었다.
가령 말을 한다 해도 진정한 뜻이 아니면 실정을 속이는 것이니, 감정이 소리에 나타나므로 거짓임을 알 수 있다.
저 흰 실을 가지고 비단을 만들 때 어떤 것은 빛깔은 고운데 재질이 엉성하거나 어떤 것은 무늬는 조악한데 재질이 좋은 것은 오직 훌륭한 상인만이 분별한다.
저 가요歌謠를 가져다가 음악에 맞추어 연주할 때 어떤 것은 말은 옳지만 뜻이 그르거나, 어떤 것은 말은 그르지만 뜻이 옳은 것은 오직 음악을 잘 아는 사람만이 알 수 있다.
疏
≪예기禮記≫ 〈악기樂記〉에 “슬픈 마음이 감촉된 경우는 그 소리가 애절하면서 급하고, 즐거운 마음이 감촉된 경우는 소리가 밖으로 펴져 흩어진다.” 하였으니 이는 감정의 감촉된 것이 음악에 이입된 것이다.
계찰季札이 ‘당풍唐風’을 노래하는 것을 보고 “생각이 깊도다. 아마 요堯임금 유민들의 노래일 것이다.” 하였으니 이는 음악의 성음이 그 실정을 얻은 것이다.
만약 사부辭賦에서만 취하고 음성을 이해하지 못하면 몸은 걸주桀紂의 행실을 하면서 입으로 요순堯舜의 말을 한다 해도 알 수가 없다.
이 때문에 〈초자楚茨〉와 〈대전大田〉 등은 모두 성왕成王의 선善을 진술하고 〈행로行露〉와 〈여분汝墳〉은 모두 주왕紂王 때의 악惡을 진술하였으나,
〈여분汝墳〉을 왕자王者의 ‘국풍國風’으로 삼고 〈초자楚茨〉를 허물을 풍자한 ‘아雅’로 삼았으니, 태사가 지어진 뜻을 알고 본래의 실정을 알았기 때문이다.